Jan 18, 2014

『才能』や『努力』とは『体質』の『運用』とも言い換えられる



平日も更新したかったけど無理でしたヽ(^o^)丿
あ、映画『ゼロ・グラビティ』観ました。めちゃ面白かったです。

今日は『才能』や『努力』についての考えを書いてみましたよ。


やたらとデキる奴がいる


同じ時期に通い始めたのに半年ほどで芸大合格レベルまでデッサンが上達してしまう予備校生。同期入社したのに一大プロジェクトのマネージャーに抜擢され、見事に大きな成果を勝ち取るキラキラ女子。21歳で起業し、株式公開時に2億ドルの資産を得た若干25歳の青年実業家。。。

彼らと自分の違いはなんだろう。
いわゆる天才という奴なのだろうか。

かのトーマス・エジソンは「天才とは99%の『努力』と1%のひらめきである」という言葉を残した。

『努力』が最終的に良い結果に繋がるかは不明だが、良い結果を出している人は制作においてもユニークなアイデアを持っているのではないかと思ってしまう。つまり『良い努力法』を習得しているのではないかと。そうでないのなら、同じ時期に似たような内容の作業をこなしているのに結果に莫大な差が出る理由はなんなのだ!?

それを説明してくれる言葉が『才能』である。
できる奴はどういう行程をたどっても成功する、と。

しかし『才能』があるように見える人も大概は苦労をしているだろう。
「はじめは全然上手くいきませんでした。諦めずトライしてできるようになりました」
そのようなコメントは偉人のインタビューでよく目にすることができる。
「『努力』の天才」という言葉もあるくらいだし凄まじい『努力』は『才能』を開花させる力があるようだ。

『努力』の成果は『体質』による


では具体的に『努力』とはなんなのだろう。
イラストを例に出すのであれば、デッサンだったり写真を模写をしたり、上手い人の技能解説を読んだり、人気の絵柄を研究したりすることが恐らくはそれの一つにあたるだろう。

一時期練習していた写真模写の一部 5分間で1枚を12セット=1時間

しかし全く同じ写真を同じ時間で100枚模写したとしてもそこでの上達には個人で差がある。これを『才能』と言ってもいいが、この場合は『体質』という言葉の方が適切だとオレは考えている。

ここでの『体質』というのは短期的な視点で見た場合の個人の能力であり、簡単に言えば「向き」「不向き」である。模写の場合はモチーフをちゃんと観察する力やサボらずに継続して描いていく事がこれにあたる。それ自体が好きか嫌いか、楽しいかつまらないかというのも要素の一つだろう。

どうしても「向き」「不向き」はある


『体質』からの「向き」「不向き」に関していくつかおおざっぱな例を挙げてみよう。

パソコンの画面を見るとすぐに気持ち悪くなる『体質』→デスクワークには向かない
人と話すことで極度に緊張し、声も出ないような『体質』→接客に向かない
長時間机に座って正確に文章を読んだりミスを発見できる『体質』→編集に向いている
運動が好きで体格が良い『体質』→力仕事に向いている

写真模写の例でいうならば主に以下の『体質』が「向いている」と言える。

・対象のプロポーションを正確に把握できる体質
・対象の形態的特徴を上手く捉えられる体質
・対象のイメージを正確に描写できる体質
・上記の作業を楽しめる体質

これらは長期間の反復練習によって向上が可能だが、体質的に向いてない人は短期間、もしかしたら長期的に良い結果を出すことは難しいだろう。

嘆くことはない。ここから重要であり本記事の主張なのだ。
『体質』とはあくまでも狭い範囲での能力であり課題が複雑になった場合、一つのマイナス要素のある『体質』は致命的な欠陥にはなりえないということである。そして大概の難しい課題とは幸いなことに複雑なのだ。

イラスト職において有利な『体質』


今度はイラスト職における個人の能力を考えてみる。
イラストでの評価は様々な要素で成り立つ。
「模写が得意な『体質』」を持つだけで高い評価を得ることは困難である。

ここでは以下の能力の【全て】がイラスト職には必要だと仮定する。

・粘り強い(辛くても最後まで仕事をやり遂げる)
・コミュ力がある(チーム内では良好な人間関係を維持しなければいけない)
・知識がある(相手の言ってることを理解できたり、自分で調査できないとダメ)
・絵が上手い(当たり前だけどクォリティの高い作品を仕上げること)

……イラスト職志望者で実践経験のない人は「難しそう…」と思うかもしれない。
逆に実践経験者の方は「自分なんて全然だよw」と思っているかもしれない。

これらの能力は以下の『体質』として置き換えが可能である。

・粘り強い>負けず嫌い、正義感が強い、はまり体質、あきらめが悪い…
・コミュ力がある>話が上手い、聞き上手、チャット名人…
・知識がある>読書好き、流行に敏感、オタク、2ch大好き…
・絵が上手い>デッサンできる、人気とれる、線が綺麗、入力が正確…

「コツコツと模写の練習をするのがニガテな『体質』」を持つが「負けず嫌いの『体質』を持つ人は投稿サイトに作品を発表して人から評価を受けることによってイラストの上達を早めることが出来るかもしれない。「面と向かって意見を言うことがニガテな『体質』を持つが「文章を打つのが得意な『体質』」を持つ人は打ち合わせの後に丁寧なメールを送れば喜ばれるだろう。「活字を読むことがニガテな『体質』」を持つが「動画なら長時間でも見ていられる『体質』」があれば専門性の高い知識を体系的に手に入れることができるかもしれない。

ていうか、上の例において「ネトゲ中毒者」って実はクリエイターとして素晴らしい『体質』なのでは?とか思った。だって粘り強いし(レベリング、素材集めなど)、コミュ力あるし(チームの統率や連携)、情報収集得意(攻略データを集める)だし、入力は正確(コマンドミスは死を招く!)でしょ。

つまり単一の能力は単一の『体質』によっては大きく影響しない。
複数の『体質』を組み合わせて『運用』することによって成立するといえる。
それが見事に表現されている様を我々は『才能』と呼ぶのではないか。

ここで重要なのは自分がやりたい目的においてどんな能力が必要かを考えることと、それを伸ばすために使う自分の『体質』は何かを見極めることである。それらを把握することによって能力の向上や事業などが相当有利に働くからだ。

就職活動との関係


さらに例を挙げてみよう。

就職活動においては「自分がなにをしたいのか」「なにができるのか」をちゃんと把握しなさいとよく言われる。いわゆる自己分析というやつだ。これがいつ頃から言われているのかは不明だが、少なくともオレが高校の頃(10年前)にはあったように思う。オレが本格的に就活を始めた大学4年の当時でさえ表面上の意味でしか理解できてなかったんだけど、今になって当記事における『体質』と『運用』の話だと解釈することができる。つまり、業界内で求められている能力と自分の『体質』をいかに把握出来ているかという話だ。ここに会社と個人とのマッチングがあり、ミスがあれば双方にとって良い結果にはならないだろう。それ故に高校や大学では高いコストを専門業者に払い、マークシート形式で適正職業検査を行う。質問に答えると自分にマッチした職業を機械が計算によって提案してくれるというなんだかSFっぽいやつだ。(精度は謎)

参考リンク:職業適性検査

富樫ってやっぱすげぇ!


漫画『HUNTER×HUNTER/冨樫義博』においても念(超能力みたいなもの)を習得するにあたっての最初のシーンは【水見式(みずみしき)】を使い、自分の能力の『性質』を知ることにあった。本格的な修行に入る前にまず自分自身の『性質』(=『体質』)をある程度自覚した上で実践する方が効果的だという描写である。これもいわば職業適正検査のようなものだといえる。

HUNTER×HUNTER/冨樫義博  コミックス第7巻/109P 111P


『体質』を『運用』し、能力につなげる


では今回のもう一つのテーマである『運用』とはなんだろう。
上記の定義によれば『体質』を把握しつつ『運用』し、それによって能力を向上させることにあたる。これがいわゆる『努力』と呼ばれるものだと思う。

少ない工数で素晴らしい業績を上げる人は『体質』を上手に『運用』していると推測できる。これは意識的に自覚して『運用』している場合もあれば無意識的な場合もあるだろう。

例えばオレはイラストレーターという職業に就いているがこれは絵を描くことが好きという『体質』の『運用』である。もっと分析するならイラストにも色々あって美少女だったり、モンスターだったり、絵本だったり様々なジャンルが混在している。オレもいくつかのイラスト仕事を経験した。来るものをほとんど選ばずに総当たりでやった。その結果、向き不向きや自身の『体質』について学ぶことができたので、得意分野を向上させるべく『運用』しているのだ。幸いな事に現状の仕事は自分の『体質』にマッチしていると感じている。

顔が可愛いかったりスタイルの良い女性がそういった『体質』を『運用』すればモデルやアイドルになることもできるだろう。最近では直接見た目が関係のない職業に就いている綺麗な女性に対して「美しすぎる○○」なんて表現もある。これはメディア視点で考えた場合、一つの美人の『運用』なのだと思う。つまり単なる職業紹介よりも「美人○○」といった方が食いつきが良いという週刊誌の見出し的なアレだ。当人がそれを望んでいるかは別として。

できないことは無理してやらない


そして能力を向上させるにあたって苦手分野に馬鹿正直に突っ込む必要はあまりないということだ。壁にぶつかってもどこかしら通路を探して欠落を補いながら進むのだ。もちろんある程度トライして痛みを知らないと「向き」「不向き」かすらわからないのですぐにリタイアするのはいささか早急かもしれない。

見切りをつけることは難しい。逆に言えば綺麗に撤退出来るかどうかが飛躍への大きな分かれ道なのだと思う。企業においてはここでの判断は生命に関わるシリアス部分となる。大量投資したポテンシャルの高そうな事業があったとしても回収できる見込みがなければ潔く撤退することは実によくあるのだ。もちろんベンチャー企業などは特攻覚悟で突っ込む場合もあるだろう。有名なところで去年はGREEの海外事業撤退とかあったね。

資源はどんどん利用する


『運用』をもう少し分けていくなら「環境資源をいかに効率よく利用できるか」というものもある。資源とは今まで述べている『体質』も含む。これでは「世の中にあるもの全て」にあたる。

よく耳にする「情弱(情報弱者)」という言葉がある。それは情報という環境資源を上手に利用出来ない人に対する蔑みの言葉である。無知におけるデメリットは計り知れなく、これを知らないだけでこんなに損をしている!ということはよく聞く。リアルな所では税金や還付金など。それが詐欺にも使われるケースもあるほどだ。コミケだって情報戦だ(真顔)。特に現代は情報がメディア流通する速度が凄まじいので真偽を見極める力は必要だといえる。

情報を上手く取り込み物を良く知ることが重要な理由は「資源を自分のものとして利用できるか」を知れるからである。その欲求の基軸になるのが『体質』だが、人でもモノでもお金でも土地でも言葉でもシステムでも、ありとあらゆるものを良く理解し、利用可能とわかれば『運用』して良いものを作っていくのだ。情報は『体質』の互換性を上げてくれる。

これは難しいことではない。

ジャガイモ、にんじん、たまねぎ、肉、それにルーがあってやり方さえわかればカレーという美味しい料理は作れるのだ。筋力も知性もそこまで必要はないだろう。そういうものだ。

もちろん偉大な成果に繋げるには相応の素養が必要だが、一つ一つ理解していけば貧しく見える資源でも素晴らしいものが出来ることがある。そもそも日本は情報であふれた国だ。低所得者でもモバイル機器を保有している。それらを理解し『運用』しない手はないのだと思う。

まとめ


ネットもそうだが、街に出ても色んな所に素晴らしい資源は転がっている。
それを単なる「ゴミ」だと決めつけてしまうことは簡単だが、良く研究し、理解した結果、やりようによっては上手に利用出来ることもあるのだ。それを決めるのは他ならぬ自分自身であり、誰かの『運用』によって砂漠のような大地から生まれた素晴らしい製品や思想に我々は感動するのではなかろうか。